本について 梅風呂

2006年10月12日

今年のノーベル文学賞

今年のノーベル文学賞は、トルコ人作家のオルハン・パムク氏に決定したようだ。邦訳されているのは『わたしの名は紅(あか)』と、『雪』の2作。『わたしの名は紅』のほうは、出版されてからずっと気になっていたのだけれど、値段が値段だけに手を出せずにいた。春過ぎに、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したのはいいのだけれど、今度はその分厚さゆえに読めずにいる・・・。そんなこんなしているうちに、作者がノーベル文学賞を受賞してしまうとは。これは何が何でも読まねばなるまい!
この本、書名も装丁もカッコいいし(ちなみにカバーを外した表紙は紅色)、各章タイトルがいいんだ。日本語訳だけれど、「わたしは屍」、「ぼくはオルハン」、「わしはお前たちのエニシテだ」、「わたしの名はカラ」、「人殺しとよぶだろう、俺のことを」、「わたしの名は紅」などと、それだけで想像が膨らむタイトルになっている。
・・・内容については残念ながらまだ何も語れないので、「すみ&にえ」さんのところでどうぞ。トップページはこちら、「すみ&にえ『ほんやく本のススメ』です。YAHOOのニュース記事にもリンクされてるな、さすが・・・。

それはそうと、近頃トルコ中東の作家が元気なような気がする。日本でも最近、アーザル・ナフィーシーの『テヘランでロリータを読む』(大学を追われたひとりの女性知識人は、「ロリータ」「グレート・ギャツビー」などの禁じられた小説を読む、女性だけの読書会を開く)や、ヤスミン・クラウザーの『サフラン・キッチン』が出版された。文学は欧米のものだけではないと言うけれど、欧米以外からこそ、どんどん優れた書き手が現れているんじゃないだろうか。日本に紹介されていないだけかもしれないけれど、最近はドイツやフランスの作家の名前をとんと聞かない。
これからは莫言や高行健を初めとする中国人作家、そして中東の作家にも大注目ですな。あとは、移住先の言語で小説を書く作家や、移民2世の作家など、いわば狭間に生きる書き手たち。日系イギリス人作家であるカズオ・イシグロ、ベンガル系アメリカ人作家ジュンパ・ラヒリ、中国系アメリカ人作家エィミ・タン、韓国系アメリカ人作家チャンネ・リー。挙げればきりがないな。ドイツ人作家の名前を聞かないとかいたばかりだけれど、トルコ人を大量に受け入れたドイツでは、トルコ系2世の作家が生まれ始めていると聞く。ラフィク・シャミもそうだっけ?。そうそう、我が日本にもおった。アメリカ人でありながら日本語で詩を書く、アーサー・ビナード
いやあ、トランスボーダーな作家のことを考えるとおもろいな。

誰か、「本」と『チャングムの誓い』について熱く語ろうぜ。エクニとかオツイチとかカタヤマキョウイチとかはナシね。403 forbidden。もっとマシなのを読みましょう。あーやっべ、また毒吐いちゃった。
posted by うめ at 21:34| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

書店について

店はガラス張りになっているけれど、道路側に大きな観葉植物が置いてあるため中の様子は伺いしれない。大きな木のドアを開けると、店内には真新しい印刷物の匂いが漂っている。少し薄暗い。床は古い木材特有の染みが浮き出ているが、塵もなく綺麗に掃除されている。店を取り囲むみたいに背の高い書棚が壁一面に設置してあり、ところどころに木枠の階段が立てかけてある。店内は30坪ほどで、大人の背の高さくらいの書棚が4列並んでいる。一番奥がカウンターだ。その隣にはこれまた古い大きなテーブルが置いてあり、買い物客がピックアップした本を山積みにして吟味している。店の主人は初老の小柄な男性だ。白髪と白髭をたくわえ、いつも眼鏡をかけている。物静かだが気さくな人柄で、常連が尋ねていくと新刊情報を教えてくれたり、昔読んだ本の話をしてくれたりする。彼の最近のお気に入りはヴァージニア・ウルフだそうだ。たまに店主のかわりに店番をしている若い男女は、店主の息子と娘だという。都内の大学に通っている。彼らも店主に負けず劣らず読書好きで、息子の方は翻訳ものを、娘の方は日本の小説を読んでいる。
店の品揃えだが、最近の流行本の類は殆ど置いていない。雑誌や漫画も少ない。マイナーだが、何度も読み返す価値のある本がセレクトされている。少しだが古本も扱っていて、まるで交換するみたいに、常連さんが売った本を別の常連が買っていく。僕は最近それで絶版になっているバルガス・リョサの作品を手に入れた。
僕はニ、三日に一遍はこの店に立ち寄り、本を物色し、店主らと言葉を交わしてゆく。


続きを読む
posted by うめ at 03:41| バンコク ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

復刊ドットコム

小学生のころ、父親にせがんで、当時市内で一番大きかった図書館に連れて行ってもらった。今は移転してピカピカの建物になっているけれど、当時手柄山にあった中央図書館は築数十年の古いお屋敷みたいな建物だった。薄暗くて埃っぽいにおいのする、いかにも図書館という趣きの(ちなみにその建物はもう取り壊されている)。

中学生のころには近くに分館ができたし、高校のころは学校のすぐ側に移転した中央図書館があったから、本は専ら借りて読むものだった。本を買うお金がなかったし、図書館は学校をサボる言い訳にもできた。

最近はあまり図書館は利用せず、読みたい本が出てきたらなるべく買うようにしている。僕が好む本は、どちらかというとマイナーな部類に入る。滅多にベストセラー入りすることもない。残念ながら、大半が発売後数年たつと絶版になってしまうのである。だから、ぴんときた本はなるべく持っていようと思ったのだ。図書館にはずっと所蔵されているだろうけど、やはり手元に置いて、折に触れ読み返したいから。それに、一人でも多く購入することで、新刊書店の本棚で少しでも長く生き長らえれば、と思うから。

ただ、自分の好みに合う作者に出会っても、その作者の過去の作品が絶版になってしまっていることもある。だから微々たる努力とは思いつつも、復刊ドットコムで投票している。

復刊ドットコム

復刊ドットコムは、絶版や品切れのために手に入らなかった書籍を、投票により復刊させようというサイト。票が規定数集まったら、復刊ドットコム側が出版社に復刊を掛け合ってくれる。みなさんも、思い入れのある絶版の本があったら、投票してみてはいかがですか?
posted by うめ at 01:10| バンコク ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

文学賞

覚え書き

続きを読む
posted by うめ at 04:16| バンコク ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

"le petit prince"の新訳

日曜日の朝日新聞に、『星の王子さま』の新訳に関する記事が載っていた。著作権が今年1月に切れたために、新訳のラッシュとなっているという。


名訳と言われる半世紀前の内藤あろう訳がまずあり、


@倉橋由美子訳の宝島社版
A池澤夏樹訳の集英社版
B山崎庸一郎訳のみすず書房版(原題に忠実に『小さな王子さま』)
C三野博司訳の論創社版
D小島俊明訳の中央公論社版


など各社こぞって新訳を出している状況である。僕自身は『星の王子様』に特別な思い入れは全くないが、広く人々に受け入れられているがゆえのことなのだろう。いやはや、新しく5つもの『星の王子さま』が生み出されたわけだ。




この5人の訳を丁寧に読み比べてみたら面白いだろうと思う。全体としての文章の調子はどうか、名詞の訳語にどの言葉が当てられているか。長い小説よりも、言葉自体が単純な短い作品の方が翻訳を論じやすい。『星の王子さま』の翻訳だけで、論文を一本書けそうだ。
posted by うめ at 01:33| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

本を読む

翻訳作業の合間をぬってスタインベックの『エデンの東』を読んでいる。4月に出版された、土屋政雄氏の手による新訳版だ。これがもう、本当に面白い! 今年に入って一番のヒットである。内容も素晴らしい、翻訳も抜群ということで申し分ない。まだ上巻の途中なのだが、これからどう話が展開していくのか気になる。久しぶりに、時間を忘れて没頭できる本に出合えた。


ところで、高校時代の古典の授業で菅原孝標女『更級日記』が取り上げられたことがある。以下は冒頭の部分である。


あづまじのはて あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて、額をつき祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふところに移る。


仏像を作るほど読書に入れ込んだことはないけれど、これに近い気持ちを僕も味わったことがある。今のように作者がどうだの、「風景」や構造がどうだの、小難しい知識を仕入れる前の頃、純粋に「物語」を楽しんでいた頃のことだ。
『耳をすませば』の月島雫みたいに「物語」が大好きで、貪り読んでいた(雫が自分に似ているもんだから、『耳をすませば』は大のお気に入りだった)。『ナルニア国物語』『ブリデイン物語』シリーズ、『ゲド戦記』、ジュール・ヴェルヌやミヒャエル・エンデ、トールキンあたりは何度も読み返した。時間の経つのも忘れて没頭し、いずれ物語の終わりが近づくのが哀しかった。登場人物たちのその後を想像してみたり、作中の人物になりきってセリフを語ってみたりした。感動した文章をノートに書き写しもした。

こういう体験が、僕のその後を形作っているんだろう。

いや、久しぶりに没頭できる本に出会えて、ふと昔のことを思い出したんだ。
posted by うめ at 07:00| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月09日

焚書

世の中にはあまりにもくだらない本が多いような気がする。また、決して良書=売れている本ではないのが哀しいところだ。書店などのランキング上位を占める本の9割が駄作だといっていい。安っぽいハウツー本に、軽い小説・・・。


若者の「読書」体験もお粗末な限り。本を1年に一冊しか読まない文学部生がいるのにも驚愕するが、古典を読まないことにも呆れる。日本人作家なら夏目漱石、志賀直哉、川端康成などなどの代表作くらいはおさえておくべきではないか。新しいところでは大江や中上くらいは読んでおきたい。むろん村上春樹や山田詠美も読むに足る作家だと思うが。
教養主義を賛美するつもりではないが、若者こそ本(良書)を読み、知識を身につけ感性を磨く必要があると思う。まあそこまで偉ぶらずとも、最低限の古典を知っておかねば、新しいことを語れないというのはどの分野でも同じだ。知識の裏打ちのない言葉には説得力がない。


「ちょっと哀しい」「ちょっと切ない」「泣ける」「おしゃれ」・・・これらの形容詞一言で言い表せてしまうような軽い小説のなんと多いことか。そしてそういう小説が巷ではもてはやされる。大量に発行されて、一度読まれただけでブックオフへ。読後には何も残らない。
そんな軽いおはなしを読む役目は、中学生に任せておけばいい。


焚書。くだらん本なんか、火力発電所で燃やしちまえ! ちっとは化石燃料の消費を抑えられるだろ。
posted by うめ at 01:47| バンコク ☁| Comment(9) | TrackBack(1) | 本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。