掟の門 梅風呂

2007年10月11日

掟の門

掟の門前に門番が立っていた。そこへ田舎から一人の男がやって来て、入れてくれ、と言った。今はだめだ、と門番は言った。男は思案した。今はだめだとしても、あとでならいいのか、とたずねた。
「たぶんな。とにかく今はだめだ」
と、門番は答えた。
掟の門はいつもどおり開いたままだった。門番が脇へよったので男は中をのぞきこんだ。これをみて門番は笑った。
「そんなに入りたいなら、おれにかまわず入るがいい。しかし言っとくが、おれはこのとおりの力持ちだ。それでもほんの下っぱで、中に入ると部屋ごとに一人ずつ、順ぐりにすごいのがいる」
こんなに厄介だとは思わなかった。掟の門は誰にでもひらかれているはずだと男は思った。しかし、毛皮のマントを見につけた門番の、その大きな尖り鼻と、筋骨隆々たる体躯をみていると、おとなしく待っている方がよさそうだった。だから、男は待ち続けた。幾日も幾日も待ち続けた。その間、許しを得るためにあれこれ手をつくした。くどくど懇願して門番にうるさがられた。ときたまのことだが、門番が口をきいてくれた。たずさえてきたいろいろな品を、男は門番につぎつぎと贈り物をした。そのつど門番は平然として受け取って、こう答えた。
「おまえの気がすむようにもらっておく。しかし、ただそれだけのことだ」
男は長いこと門の前で待ち続けたのだが、いっこう埒があかぬ。たくさん用意してきた乾パンは屑ばかりになり、飲み水も皮袋の底を潤す程度になった。しかたなしに、男は門のそばに井戸を掘ることにした。幸い穴は固い岩盤の層にぶち当たることもなく、ほどなく粘土層から水が湧き出してきた。水の次は食料である。男は、携えてきた弓矢で野の獣を仕留めたり、野葡萄を摘んだりして飢えを癒した。そうこうしている間も、門番をなだめすかして中に入れてもらおうとしたのだが、門番の言葉はいつも同じだった。
「おれにかまわず入ればいいではないか。門はいつでも開かれている」
だが、男には門番の横を通りぬける勇気がなかった。
男が待ち続けるうちに、季節は寒くなった。男はそれまで寝袋にくるまって夜を過ごしていたのだが、野分の冷たい風が身にしみるようになった。そこで、近くの森へ行き、手ごろな木を引き倒して木材とした。それを縄で結わえて壁を作り、茅で屋根を葺いた。粗末な小屋だったが、雨風を凌げるだけありがたく、冬の間その中で過ごした。風の強い日も、雪の降る日も、男はかかさず掟の門の前に立ち、門番に中へ入れてくれるよう頼んだ。答えは同じだった。門の中を覗き込むと、暗闇の中に燦然ときらめくものがみえた。
やがて春が来た。男は門のそばの土地を耕して麦を植えた。食用となる野草も畑で育てた。その秋、はじめて採れた麦でつくった黒パンを、男は門番にわけてやった。
春と夏と秋と冬とが幾度か巡った。男は、あるとき小屋に泊めてやった旅の女を妻とし、その女との間に子を成した。掟の門の前には相変わらず門番が立ち続けており、男はその中に入ることをあきらめてはいなかったのだが、門番とのやりとりは途絶えがちになった。食うためには働かねばならぬ。先の見えぬことに費やす時間はない。妻と子供たちを養うために、男は畑を大きくし、井戸を深くした。野豚を捕えて数を増やした。小屋が手狭になったので、石と土で家を作った。壁にはしっくいを塗った。
また春と夏と秋と冬が幾度か巡った。子供たちもすっかり成長し、それぞれが妻夫を娶った。いつの間にか男には孫が出来ていた。小屋の外に揺り椅子を出し、妻とともに孫たちの賑やかな声を聞きながらうつらうつらするのが男の日課になった。そして、かれが掟の門の前に立つことは絶えて久しくなっていた。門は以前の変わらず年老いた男の家のそばに立っていたのであるが、もうかれの目には入らぬようだった。
男が天寿を全うし、そのいのちが尽きようとしているとき、掟の門の門番は、家から漏れてくる男の子供や孫の嘆き哀しむ声を聞きながら、つぶやいた。
「この門は、おまえひとりのためのものだったのだ。ほかの誰ひとり、ここには入れない。しかし、そもそもお前にはこの門は必要なかったのだな。ここを閉めるぞ」
男が死んだあと、門は風雨に侵され、力強い野草の蔓に絡みつかれて、いつしか崩れさっていた。


元ネタ:フランツ・カフカ『掟の門』
posted by うめ at 22:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。