スタジオジブリ、『ゲド戦記』を映画化 梅風呂

2005年12月15日

スタジオジブリ、『ゲド戦記』を映画化

アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズをご存知だろうか。1968年に『影との戦い』が出版されて以降、2001年までに『こわれた腕環』、『さいはての島へ』、『帰還』、『アースシーの風』、『ゲド戦記外伝』の全6冊が出版されている。ルイスの『ナルニア国物語』やトールキンの『指輪物語』と並ぶ、3大ハイファンタジーの一つだ。
その『ゲド戦記が』今回、宮崎駿氏の息子である吾朗氏の手によってアニメ映画化されるという。

ged_poster01.jpg

世間では『指輪物語』の映画化に引き続き、『ナルニア国物語』も撮影が進行中であるとのこと。そこに『ゲド戦記』アニメ映画化の話題である。ついにハイファンタジー御三家が映画界に出揃う。


そもそも僕は本の映像化には反対だ。特にそれがファンタジーや物語であった場合は。
本を読む際、読者はそれぞれに作品のイメージを思い描く。読む文字は同じであっても、読者の頭の中で想像される物語世界は千差万別なわけだ。それが映像化されてしまうと、登場人物や舞台のイメージが一つに集約されてしまう。映像を見た後に本を読んだとしても、想像の余地は殆どない。さらに実写化はひどい。生身の俳優が演じることでそのイメージが作品世界にも持ち込まれる。

今回ジブリがアニメ映画化するということだが、さてさてどうなることやら。ジブリファンの自分としては期待半分、疑問半分だ。

ところで、ハリウッドが実写化に乗り出さなかった理由は明らかだ。『ゲド戦記』は実写化には向いていない。(併記するのも憚られるが)『ハリーポッター』のような派手な戦闘シーンやとっつきやすい魔法施行シーンが全くない。一見地味な作品である。ネタバレになるので詳述しないが、『ゲド戦記』のキーワードは「自分との戦い」、「真の名」だ。倒すべき敵はいてもそれはあくまで自分の鏡像。戦いの通奏低音として、言葉や力、孤独について描かれており、いわば主人公ゲドの心の成長の物語となっている。
スタジオジブリがアニメでこれをどのように描くのか、見ものだ。


アーシュラ・K・ル=グウィンの公式HP

『ゲド戦記』の粗筋が紹介されているサイト
posted by うめ at 01:54| バンコク ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 北米の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
梅ちゃま、お久しゅう。

例えば、映像から先に入った方が、後に原作を読む際
理解出来ない単語に出くわしても、先程の残像が助けになって多少読み飛ばしても全体のストーリーを把握するのに全く差し障りがないんでないのか、とか。
いや、逆に映像から、その単語の意味を掌握することだって可能なわけで。
要は、観る側の目的意識にもよると思うんだが。
私は基本的にファンタジー物を殆ど観ない主義だから、ようわからんのだけど。

私は常日頃から、物を創るときはある程度の想像力が必要だと考えているのだけど、物を理解するにも実は想像力って必要みたい。(ヒトトヨウのハナミズキを聴きながら)
Posted by at 2005年12月18日 20:46
あっ、名前入れるの忘れてしまった。
上のコメント、わたくしです。
 
また、つまらぬ物を書いてしまった・・。(ルパンの五右衛門風)
Posted by 尚子 at 2005年12月18日 20:48
当たり前のことだけれど、作品にはそれぞれ最適な表現媒体があるということを言いたいんだ。他媒体に「翻訳」することで、原典の価値や意味が傷つけられてはいけない。むしろ原典の価値世界を補完・拡張するようでないと、「翻訳」に意味はないよ。
Posted by うめ at 2005年12月20日 00:20
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。