佐和子がその人生で一番驚いた瞬間(1)  梅風呂

2005年12月02日

佐和子がその人生で一番驚いた瞬間(1)

その女の子の名は佐和子といった。どうやら大阪の生まれのようだったが、母である和子が多くを語らなかったので、本当のところは誰にも分からなかった。口の悪い輩の中には佐和子のことを私生児だと言う者もいたし、満州に渡ったまま行方が分からなくなっている父親がいると言うものもいた。佐和子自身、父親の顔も声も覚えてはいなかった。たった一度だけ和子に筆談で尋ねたことがあるのだが、その時母は「利雄」と控えめに父の名を記したのだった。


佐和子が幼い頃を過ごしたのは、当時はまだ珍しかった西洋風の大きな屋敷だった。神戸の街を見下ろす六甲山の麓にあった。その屋敷は横浜に本宅を構える貿易商の別宅で、和子は主人の留守を預かる使用人の一人だった。屋敷には20を超える部屋があったのだが、殆どの扉には鍵が掛かっていた。年に数度しか主人が姿を見せなかったためだ。当時戦争の雲行きが怪しくなっていたから、長距離の移動は時間がかかる上に危険だった。やれ故障だ、空襲警報だ、燃料補給だ、軍の使用車両が通る、といった調子でしょっちゅう列車は停車し、包んできたカンパンも旅が終わる頃にはすっかり痛んでしまう程だった。郵便通信事情も坂を転がり落ちるがごとく悪化してゆき、横浜の本宅から「シュジンコウベニシュッタツス」の電報が届いた一時間後に主人が到着するようなこともよくあった。


当時佐和子と和子のほかにその屋敷に住んでいたのは、飲んだくれの執事に耳の遠くなった庭師、それに主人の三男坊である勝の三人だった。他には、賄い婦や掃除婦が数人通ってきていた。執事は40がらみのおべっか遣いの男で、主人が現れた時にはおお張り切りで屋敷を取り仕切る役を演じきるのだが、主人が本宅に帰ってしまうと、昼間から使われていない部屋に隠れて酒を飲んでいる姿を見かけることがよくあった。勝は大阪の帝大に通っていたのだが、いつ何時大阪の街にB29がやってくるか分からないというので別宅に身を寄せていた。口下手でぶっきらぼうな青年だったが、子供の佐和子にだけは優しかった。広い庭からは書斎の出窓に仲良く腰掛け、藁半紙を手に佐和子と筆談を交わす姿が見られた。
posted by うめ at 01:26| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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