梅風呂

2007年10月05日

愛の反対

最近街中で「ひどい」母親をよく見かける。人通りの多い繁華街で、火のついたように泣いている子供を大声で叱り続ける(というより罵倒している)母親や、物心もつかぬような幼児に対して、まるでかれが大人であるかのようにその行儀の悪さを「論理的に」責め立てている母親。いずれの場合も、ああ、これは虐待というものなのではないだろうか、この子はまともな大人に育ってくれるだろうか、いや、この子も大人になったら、その母親と同じように子供を虐待するのではないのだろうか・・・などと考えながらも、クールな都会人よろしく見て見ぬふりをしていたのだけれど、先日見かけた母子は放っておけなかった。いや、結局何もしなかったのだけれど、声をかける寸前だった。仕事帰りだったと思うのだが、メトロの高田馬場駅ホームに下りていくと、2、3 歳の子供がひとり地べたに這いつくばり、金切り声をあげていた。迷子なのかと思ったが、どうも少し離れたところにいる女性が母親らしい。かれはその女性に向かってママ、ママと叫んでいるようだったから。ところがその女性は子供の方をまったく見もせず、無視を決め込んでいる。1 分経ち、2 分経っても、子供は泣き続け、母親は知らんぷり。ホームで電車を待っている人たちもその母子が気にかかるらしく、ちらちらと目をやっている。特に近くに立っていた西洋人の若者が落ち着かぬ素振りを見せている。自分の握った手の平も変な汗をかいてきた。警笛を鳴らしながら電車が入ってきて、ああこれはもう駄目だ、声をかけよう、と思ったその瞬間に、女性は何事もなかったかのようにすっと子供を抱きかかえ、止まった電車に乗り込んだ。それを見て少しだけほっとしたのだけれども、よっぽど言ってやろうかと思った。子供さん、泣いてたじゃないですか。それって、ネグレクトっていうやつじゃないんですか、と。
そういえばマザー・テレサによると、愛の反対は憎しみではなく、無関心なのだそうだ (The opposite of love is not hate, it's indifference)。

それにしても、もう少し勇気が欲しい。いじめを見て見ぬ振りをしている者もいじめている者と同罪だというけれど、子供がneglectされている姿を見て見ぬ振りをする者も、neglectする母親と同じ罪を被るのだろうか。あのとき僕が声をかけることで、あの子供の人生が少しでも好転したのではあるまいか、などと考えると居たたまれぬ気持ちになる。
posted by うめ at 00:22| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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